新宿淀橋市場の歴史 イメージ

新宿淀橋市場の歴史

新宿淀橋市場とは

関東大震災以降、
人口が急増した東京市の周辺区部や郡部の青果物供給拠点として、
既設の民設13市場を統合し、
昭和14(1939)年に淀橋区役所の隣に開設された青果市場です。
都内中央卸売市場のうち、
青果物の取扱規模は第3位です。

700店近くの小売店が仕入に参入 イメージ
700店近くの小売店が仕入に参入

新宿淀橋市場の歴史

新宿淀橋市場の歴史 イメージ1
※国立国会図書館ウェブサイトより
“淀橋”という地名
新宿中央公園の中にある十二社熊野権現を勧請した中野長者鈴木九郎の伝説が残る淀橋は、昔「姿見ずの橋」と呼ばれており、「淀橋」の名の由来は、「川の流れが緩やかでよどんで見えたから」という説など諸説あります。
淀橋町の誕生から東京市編入まで
明治22年施行の町村制によって、柏木村、角筈村などが合併、南豊島郡淀橋町が誕生しました。新宿淀橋市場のある柏木の地には、大町桂月、内村鑑三、大杉栄、西條八十らが住んでいました。淀橋町は、昭和7年には東京市に編入され、淀橋区となりました。
新宿淀橋市場の歴史 イメージ2
新宿淀橋市場の歴史 イメージ3
淀橋分場の開場
築地本場・神田分場・江東分場だけでは既存の民営食品市場を収容できないので、東京市は新たに4つの分場を作る第二次分場建設計画を策定(昭和7年)。これに基づき、昭和14年に淀橋分場が開場しました。
新宿淀橋市場の礎を築いた人
井荻村(杉並区)の青年村長として数々の偉業を遺した内田秀五郎氏。都市計画史に残る先駆的な土地区画整理事業は有名です。また、農業振興のため青果市場開設に尽力したことも業績の一つです。淀橋分場の開場とともに新たに東京新宿青果株式会社を設立、戦後は東京都議会議長としても活躍されました。その銅像は善福寺公園にあります。新宿淀橋市場内にも胸像が建立されています。
新宿淀橋市場の歴史 イメージ4
70年以上の歴史を持つ青果市場 イメージ
70年以上の歴史を持つ青果市場

毎月18日は淀橋“イチバ”の日

毎月18日を「新宿淀橋市場の日」とし、
市場・小売店が一体となって
産地の人たちが心を込めて作った良質な商品を小売店の店頭で販売しています。
プロが選んだ目利き品をぜひご賞味ください。

アクセスマップを見る